2006.3.3 fri @新宿LOFT
スペースシャワー列伝 第六十巻 〜蛇崩(じゃくずれ)の宴〜
出演:
lostage
VOLA&THE ORIENTAL MACHINE
toe
「君は誰なのか?」
名前すら初めて耳にするバンドのプレイを聴くとき、
それを思う。
toe は去年行った、
OWENのライブで対バンとして参加していた。
その音には、その姿に名前がある。
「これが俺たちだ」
そういうアーティストが好きだ。
もちろん、さらに音が自分の求めるものなら尚更だけど、
仮にそうでなくても、だ。
Vola & THE Oriental Machine
「イナザワアヒトが率いる」、
「元ナンバガ、元ZAZENのドラマーがギターに持ち替えて。。。」
大体、そうゆう紹介のされ方が多い。
それだけのバンドだった、というワケなので、仕方ないし、
一生言われ続けることかもしれないが。
ただ、その音は「元〜」という飾りを全く必要としない。
俺にとって、このバンドの評価は
そんな「物珍しさ」からではない。
1作目にして、彼らもまた既にここまで到達している。
金属っぽさに、ギラギラと黒光る、このギターの音色。
2組目として登場するや、
少ないながらも、フロアは確かにその音を感じ取る。
このバンドの「ギター」はやはり中毒性がある。
スゴい音を出しているものだ。
良いパフォーマンスだった。
トリで登場は、
toeだった。
歌について考えさせられた。
そもそも歌は必要なのか、と。
少なくとも、VOLAにはアヒトさんの歌声が必要だ。
あの歌声が、曲を高める。
では、toeの曲に歌があったら?
考えるもなく、必要がない。
つまり、歌は曲を構成する、一つの楽器である。
あるバンドはキーボードを入れたりするし、
その逆もある。
歌は確かにもっとも印象が強い。
言葉を含むからなのか。
だが、toeはそれを必要としない。
それは歌以外の楽器が、
toeの音を語り尽くしてしまうからなのか?